曹洞宗興国寺

古城山興国寺の由来


  当寺は曹洞宗古城山興国寺と称し、本尊は薬師如来、開創は永正年間にして、 万治元戌年辰年七月天国梵九大和尚開山となり、曹洞宗となる。建物は本堂、庫裡、不動堂で、 当初の本堂は行間9間半、梁間7間の朱塗りの建物であったが、明治初年民家よりの出火にて 類焼す。その後は假堂にて過ごして来たが、昭和34年に本堂を再建する。しかし手狭を来して きたので、今回新本堂を建立す。

  又、若宮権現は当時の鎮主にして、祭典・儀式・朝夕の祈願勤行を執行し、 村落民の氏神として崇められていたが、明治初年神仏分離して神社となる。当寺は昔より 武田家の信仰厚く寺の紋も割菱を用いる。


興国寺不動明王尊縁由


  興国寺不動明王尊像は武田機山公の御真筆とも、あるいは、機山公が信州川中島 に上杉謙信と戦役中の永禄五戊辰年機山公四十二歳の時に武田逍遥軒信綱が模写したものとも 伝えられ、機山公が出馬・入館する際、国土安寧武運長久無難無災を祈ったものです。

  機山公亡きあと武田家滅亡が近づき明王尊像の滅涜を憂えた逍遥軒は若宮神社に 奉秘しました。その後寛文九年当山二世別傅大和尚が若宮神社を境内に移したところ、この 縁由が添えられた明王像が顕出し、衆人の斉しく恭敬供養するところとなり爾来御堂を造立し、 奉安してまいりました。

  しかし、明治12年2月23日当山は類焼を被り、不動堂のみ残りましたが、その際 当の不動明王像は紛失したように伝えられています。

  かつてその昔、村内に疫病流行した折住職不動明王尊を奉持して村内を巡り 疫病退散の御祈祷を行ったと云われています。このことが現在行事として受け継がれ、今日は 住職と老人クラブの人達とによって2月11日村内を巡り、この行事が行われています。なお、 最近まで不動講があって、毎月28日に講が開かれ、講員一同心身における危難を除滅することを 祈って来ましたが、現在は休んでいます。毎年3月28日には祭典を執り行っています。


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